mariaki929’s diary

自分のままに

10年前の今日

柄にもなく回想録を書きます。

朝、走っていると中学生とお母さんが信号待ちをしていた。

この辺りは息子の高校の近くである。

もしかしたら今日は受験日かな。

信号が変わり 横を走り抜けたものの
私の胸中はあの日へと。




2月10日は確か息子の受験日だった気がする。

中学時代 不登校気味の息子はメンタルが落ちているなか志望校を決めて受験に臨んだ。


2月

無理して頑張って
数校受けた私立は全落ち。



結果を見てすぐに塾の先生から次の作戦指示が出た。2月末の都立1本にかける前に保険として私立の二次を受けておいた方がいいと言われる。



息子は共学ならばいいと言っていた。
そんなに受ける体力あるの?
想定外の高校、受けるの?
知らない学校でいいの?



私は不安が隠せなかった。



二次試験日は目前。
迷ってはいられない。
とにかく願書を取りに行かないと。
そして出願しないと❗️
私は急いだ。
出願には 高校までの道を覚えさせるために息子と一緒に行った。



そして、受験する。



大丈夫か?
(いろんな意味で)


とりあえず受ける。



そして結果は合格。


数週間後の都立受験は残念な結果になり

結果として そのあわてて受けた学校に行くことになった。


高校生活が始まる。


蓋を開けると その高校は今までの私の常識を破る自由な校風の学校であった。


自由な校風は生徒の自主性を重んじていた。
自由さはそこに纏わる責任も重んじていた。
個人を尊重していた。


その雰囲気が 息子の何かと交わったようで
貴重な3年間となった。


息子が家に連れてきた友達の髪の毛がシルバーグレーだったのが印象的だったな。そしてその友達は生徒会長だということで私の驚きは さらに増した。

後に先生から聞いた話で
息子がだいぶ休んだ後に学校に行っても特に誰も気にとめる様子がないという。
干渉しないというよりも、そういう人でそれもありだという受け止め方なのだと言う。


そう言えば
先生が生徒と横並びの関係であることにも驚きだった。生徒は先生をあだ名とか下の名前で呼んだりしていた。



受験するまで息子のメンタルが安定せず大変で 想定内で環境を整えたのに それを上回ることが起き、親の想像を越える高校生活となった。まさに もはや親の範疇ではなくなったのだ。


あの私立全落ちから始まった高校への切符。


10年前の今日。


すべては 今に繋がっている。



もう 10年が経ったのだな。

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