ご飯作りの意味~私の場合~
息子がいなくなってから二週間が過ぎる。
憧れの一人住まい。
どの時間も自分の時間でよくて
何をやっても何も言う人がいない。
時間の縛りがない解放感。
嬉しくてたまらない自分がいた。
休日、ふと朝食を作ろうかと
冷蔵庫を開ける。
確かベーコンと卵はあったはずである。
賞味期限は12/2のベーコン
同じく12/4の卵があった。
消費されていない事実。
時が止まっていた。
2週間前に息子と自分のご飯作りに
多めに買っておいた卵とベーコン。
まな板と包丁を使って
野菜とベーコンを切る。
フライパンで炒めて卵を落とす。
炒めていると朝食を作ることが
久しぶりであることに気がつく。
この2週間、自分のために料理を作ることの面倒くささが否めなかった。
一人分作ると必ず余る。
余らせないように作ると味気ない。
食品ロスが嫌で一度作ったら残りを何日も食べたりしていた。
はたまたお弁当、お総菜を買い、それを温めて食べて過ごしていた。
要は包丁、まな板不要だったのである。
目玉焼きをお皿にのせ、朝食を食べる。
電子レンジで温めたものではない
直のお料理の美味しさを
改めて感じる。
家族のために作っていたご飯。
家族がいたからこそできたこと。
32年間、人のために作っていた。
いざ自分が一人暮らしになってみると
手軽さ便利さ美味しさで選び簡単に済ませていることに気がつく。
料理は創意工夫のものである。
計画し準備し段取りから完成、そして後片付けまでと、ありとあらゆる力を使う。
ご飯作りがなかったらお母さんの負担がどれだけ軽減するかと毎日毎日思っていた。
(実は私は家事のなかで料理作りが
一番好きだった)
自分中心の食生活を送っている今、
本当はズボラで適当な自分を知る
面倒なご飯作り。
本当はズボラで適当なお母さんのスキルを
上げてくれていたのだと気づく。
そして、それは自分の家族であるからしていたことであり、自分が家族のことをしたくて選んでいたことにつながる。
皮肉にも離れてみて気がつくとは。
ツンツンから贈られた紅茶。
一人時間に飲んでいる。
香りと風味を味わいながら。