背中を押されて動いてみたら
いつもと違うことをやってみた。
そうしたら、見えない景色が見えた。
そうしたら 自分のブロックに気づくことができた。
話はランの練習のことです。
私は朝ランのデータをアプリに記録しています。目標設定は実は苦手なのですがとりあえずモチベーションのために 100キロ/月としていました。
二年半の間 脚の調子が悪い時期が続きました。そういうときの距離は備忘録としての存在でした。
少し調子が良くなってきて110キロにしてみました。
すると、未達成が続きました。
達成しても うっかりするとすぐに未達成になってしまいます。私は未達成が嫌で 翌月の目標距離を108キロにしたりしました。前回、あと二キロで未達成だったからです。
すると、実際は108キロもギリギリだったりしました。
そうです。
私はできることを目標にしていたのです。
それでも確実性には欠けていました。
その中で 私の脚の調子は少しずつ安定してきました。だからと言って目標距離を増やしたりはしませんでした。たくさん走ること=脚が壊れるという思いがあったからです。
そんなある日、ランの仲間である人に言われた言葉があります。
「あっきぃは130キロ走れるよ」
(ハッ⁉️)
「そうしたら走るの楽になるよ」
(いやいや110キロでも完璧でないから)
その場では否定的に捉えていました。
なのに 翌日ランkeeperの目標距離を130キロに設定する自分がいたのです。
負けず嫌いな自分。
→130キロ走れるのに走ってない自分。
→結果に実はこだわる自分。
→未達成はアホみたいな現象。
思い込みの塊を持つ自分。
→目標達成は苦しいもの、辛いもの。
→速度を上げるとからだが壊れる。
→長い距離を走ると脚を痛める。
これらを持ち合わせて、大切に抱え込んでいた自分に気づくことができました。
そして、とうとう月に130キロを走ることができたのです。
あの人に背中を押してもらわなかったら
新たな目標を設定すること、そして実現に執着することはなかったと感じました。
やってみたら、それほど大変ではありませんでした。そして脚の調子もまずまずでした。
ということは何が見えたかというと
安定は時には 成長を止めることになるかもしれない。
いつも同じことをしていると考えずに動くことになるかもしれない。
はじめては その人のいつもを飛び越えて違う世界を見せてくれる。
私は そう感じたのでした。
ちなみに夜ランも いつもを飛び越えたことになる。
気づきは
夜走ると明かりの方に目が行くことがわかった。夜光虫のような自分。
夜ランは食べ物屋に関心が湧くようである。