mariaki929’s diary

自分のままに

不登校は学びの場を連れてくる

 

長男が13年前に不登校になったとき、思春期突入もあり「コミュニティカウンセラー」の講座を受けに行く。息子とどうやって、コミュニケーションをとったらいいのかを知りたかったから。今までの自分のままではダメだと思ったから。自分が変わりたかったから。

 

3日間、受講した。

今までの自分の辞書にはないことばかりで

とうてい、改善したくても直ぐには直せないことばかりだった。

例えば、相手と自分の領分の分別について。

当時の私は人には領分があることさえも知らなかった。

だから全く意識せずに相手の領分に土足で入っている自分を知る。子どもだと特に。そして、知るだけで精一杯で、領分を侵すことはそう簡単にはやめることができなかった。

また、家庭は家族にとって居心地のいい場所という点について。

外で頑張ってきた家族がOFFでいられる場所作りを心がけましょうという内容である。

「お母さんは、外でも家でもオンだから疲れる。こっちの身にもなってよ」と息子に言われ、OFFにできない自分が嫌になる。

当時の私は、子どもが何かを言ってきたら、即対応するためにOFFなんかではいられない❗️と反発する気持ちを抱いていた。

 

学ぶと自分の現実を知らされ、苦しくなることもあった。

 

その後、コーチングへと移っていく。

学んでも、次男、三男と不登校の波は止まなかった。学んでも現実は変わらずいったい何になるのかと思い いっそ効果が見えないことは、やめようかと思い始める。

その後、ライフコーチ養成学校(LCW) で学び始めたのは50歳の時。その頃、学びの費用を稼ぎたいと専業主婦から保育士のパートも始める。

家以外で、自分の能力が認められる喜びを知る。

 

それでも不登校の現実は一向に変わらず、だった。コーチとのセッションでは自分の生き方についての質問があげられていた。

数年後にどんな自分になっているか?

その未来に向かう質問で、不登校の状態に左右されずに自分の未来があることに気づく。

私は 自分の未来に向かって進んでいるんだ。不登校がスッキリ終わってから未来のことを考えるより、今から描いて準備しておくのだ。そう思い、自分がなりたい姿を語った。

 

今、57歳。

 

私は、あの頃、語っていたことを手にいれていることに ふと気づく。

 

・不登校に悩むお母さんのしゃべり場を作っている。

・不登校に悩むお母さんと一対一で関わっている。

・不登校に悩むお母さんと全国で繋がっている。

・自分が活かせる仕事をしている(→正社員になっているのは想定以上) 

 

今日は、久しぶりにコミュニティカウンセラー養成講座のサポーターとして参加する。


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主催者の田中先生の伝えることは13年前と軸がぶれておらず、自分と他人との領分の分別やオンオフでリラックスをする効果などに触れた時、私自身が、あの頃から変わったことを実感できた。

 

もう、家には不登校に関することは存在していない。

 

そして、私は自分の生き方を見据えて生きている。

 

帰り道、自転車をこいでいて、あるものが目に入り、キキッと止めてバックして見てみる。

 

カタツムリだった。


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虫に興味がある仕事場である園児の顔が

瞬時に浮かぶ。

その辺の葉っぱにカタツムリを乗せて、カゴに入れて帰る。私は本当は虫が好きではない。子どもたちの喜ぶ顔が 見たくて そうしていることに気づく。

 

自分を活かして仕事ができることが

心の底からありがたく思える。

 

1日の大半を保育園にいる。帰宅するとクタクタで当たり前にOFFになる。

このOFF時間が、どれほど貴重なことか身を持って感じる。

 

 

周囲の人には

感謝の気持ちでいっぱいである。

 

 

そして、私の未来。

さらなる先を見ていく。

 

楽しみ。