励ますために言われた言葉
今から13年ほど前のこと。
長男が不登校になるかならないか
はっきりしないときに心が疲弊していた私は、長男が大変お世話になった小学校の担任の先生を訪ねた。
その方は 六年生の時、生徒一人一人のよいところを引き出して学級崩壊を立て直してくれた先生である。
私は教師というプロの目での解決策を聴きたくて訪ねた。
状況を詳しく話を聞いていただいた後、小学校と中学では体制が違うから何とも言えないことを言われた。そして帰り際、聞かれたことは
「いじめにあっていたのは何年間ですか?」
「一年間です。」
「よく言われているのは心の傷が癒えるまでに その三倍の期間を要するそうです」
「はぁ、そうですか。失礼します」
そう言われた私は正直カチンと来た。
その場を離れてから、腹が立ってきた。
今、そんなことを言わなくてもいいのに。
3年もかかると聞いて落ち込みを倍増させたいの?
何の答えにもならないことを言う。
人の気持ちをわからない人だ。
もっと心に寄り添ってほしかったのに。
うまくいっている人の話とか聞きたかったのに。
暗いトンネルの中にすっぽりと入っていたあの頃の私にとって、受け入れられない言葉だったのである。
コップの水が溢れんばかりになっている時に
そんな統計的な話をされても
それが何?
とイライラしたのである。
今となってはその先生の気持ちを汲むことができるし、不登校を社会現象の側面として捉えることの大切さも理解できる。
ただ、無理なときは無理なのである。
あの頃の私は、目の前に起こり広がるかもしれない状況を何とかしたくてこの一週間、一ヶ月しか頭の中になかったのだ。
誰か共感してくれる人を
求めていたのかもしれない。
親の会に参加せずにいた自分。
(これは自分が選んだことなので自業自得なのだが)
不登校の話を誰にもせずにいた。
子どもの気持ちに向き合い子どもたちから人気のベテラン先生の言葉さえも受け入れることをしなかった自分。
そんな自分に
今、もし声をかけるとしたら
「あなたはよく頑張っているね。」