自分の当たり前に気づく
ふと降りてきたから書いてみる
自分が当たり前としていること
それは、私にとって
特別ではなく何の変哲もないこと。
1日はほとんどの時間を当たり前で占められている。
ということは、日々が重なると1週間、1ヶ月、半年、1年と
当たり前で、できている。
広く考えれば、一生は ほぼ当たり前でできているのかもしれない。
特別なことは、頻繁には訪れないのだ。
(だから、特別と言う)
数年前の自分は前向きで向上心高く、いつもと違うことをすることで変わることを目指していた。
当たり前の日常を平凡さとしてとらえ 何か違うことをすることで変われる、変わりたいと思って動いていた。
何か新しいもの、何か今と違うものへと
チャレンジしエネルギーも高かった。
最近の自分は以前に比べると行動力が下がっている。
だからと言って、自分の価値が下がったわけではないことに気づく。
むしろ、止まることで特別なことの下に位置する当たり前の存在に気づく。
最近好きになった言葉
〈足るを知る〉
自分が自分を知り
自分の持っているものに目を向け
これでいいではなく
これがいいと思えること。
今、自分の内面がそういう状態であることに気づく。
当たり前の普通感に満たされている。
すると不思議と
自分の当たり前に感謝の気持ちがわく。
ぼんやり過ごす時間さえ
価値を感じていとおしくなる。