時間を楽しむ
もしかしたらコロナ禍と
被ったからかもしれない。
いや、違うな。
以前の私は止まることなく動いていることが好きだった。忙しくしていることが自分らしいと感じていた。止まると何かすることがないかと探しているようで、ある意味、止まることに不安を感じていたのかもしれない。
今は、時間を過ごすことに楽しみを感じている。
平日は仕事。
朝、出ると、家に戻るのは9時間後。
その仕事も自分を活かした現場であり、いいことも、大変なこともどちらも 今の自分を磨くことにつながるため、苦し楽しい時間である。
家時間。
平日はその日の疲れをダラーッとして消化し翌日に備える。
週末は、時間制約のないことに喜びを感じ
好きなことを探して見つけて時間を過ごす。
時には、これといったことを何もせずに過ごすことをしている。時間が過ぎていくままに過ごしたり。
No plan, no think, no check.
(なぜ英語かは謎だが)
自分の心に赴くまま時間を過ごすことが
どんなに大切なのかは
この歳になって初めて
気づいたことかもしれない。
足の指を骨折したことは時間を楽しむことに少しは関係しているかもしれない。
靴を履くことが足の指にとってストレスになるため、家で過ごす時間が増えたこともある。その家時間を焦ることなく穏やかにいられるようになったことは、自分の中の変化である。
休みには自分のセルフメンテナンスのため時間を使い、家のなかでは、好きなことを思いつくままにやっていると、平日へのパワーチャージとなり、仕事に意欲的に向かうこととなる。
その繰り返しのなかで たまに、忘れていた自分の後回しにしていた願いを叶えてあげたりすることで、自分の心は 喜ぶ。
今まで我慢していたわけではないけれど自分ファーストではなくやってきた32年間。
私は 自分ファーストの思考が習慣化しておらず自分を喜ばすことに どこか罪悪感を持っていたように思う。
先日、眼鏡を買い換えた。
特にきっかけはない。壊れたわけでもなく使えるのに新しくすることにした。汚れかと思っていたレンズは細かい傷たちであった。
自分の顔に合わせてフレームを選ぶ時間は何だか嬉しい時間だった。出来上がりは二週間後だという。
待つ時間さえ嬉しくなる。
自分を喜ばすことを今までしてこなかった。
これからは
自分の心とよく相談して
自分の心が喜ぶことに
さらに時間を費やしたい。