今を感じて過去を感じる
私は家に帰ることに、気がすすまなかった。
家で自分を出せなかった。
外にいた方が気持ちが楽だった。
家族以外の人といると楽しかった。
自分のことを全面的には受けとめられてはもらえない場所が家だったのかもしれない。
もちろん一部は受け入れられてはいたと思う。
自分を出すとどうなるのか?
家族に激しく反発される。
私は抵抗されるのが嫌だった。揉めるのが嫌だった。嫌がられるのが嫌だった。
だから、ぶつからないようにしていた。なるべくYesと答えていた。本音を言えない場所が家だと思っていた。
自分さえ変われば何とかなる。衝突が起きるのは自分の何かが足らないからだと思っていた。特に辛いとは思わずにいた。
自分の何かを変えることで家族も自分も楽になるに違いないと学びの場に足を運んだりもした。
私は家で 心から くつろぐことは なかった。
それでも、家族のためになるならば それでいいと思っていた。
ある時 気づく。このままだと私は家族にいいように使われるだけだと。家族にとっても自分のことをする機会を奪っていることになる。私は自分時間を積極的に作ろうと動き始めた。自分のための自分だけの時間を作ることで居場所ができた。その時間は楽しい。その場所は自分を待っていてくれる。
どんなに辛いことが家であっても自分を保てたのは自分時間の確保があったからである。
2018-2019年、家族のことで向かい合わなければならないことがあり、自分時間を意識的に削った。そして家庭内が整理され個々の立ち位置が明確になった。
この2020年から家族の形が変わり、自分が家族に必要とされていることを感じる。
私にとって家は帰るところだということ。そして、皆も同じように思っているということ。居場所があることの大切さを改めて味わう。
ずいぶん長い間、家の中で逆風の中を一人で立っていたのだと気づく。
私は長い間、歯を食いしばってやっていたのだと 今ごろになって気づく。
自分に 頑張っているという意識がなかったのだ。
もう、行く手を阻むものはなくなった。立ち向かう必要もなくなったのだ。
これからは封印していた自分時間を少しずつ取り戻そう。
自分を生きるために。