思春期反抗期のしっぽとの対峙
仕事から帰宅してシンクを見ると
山積みの食器たち。
家にはインフルエンザ回復している三男。
おそらく一日中、家にいた様子。
私は、夕飯をアボカドグラタンを作るか、昨日のキーマカレーで済ませるか 帰宅後、息子に相談してからと決めかねていた。
そこに、目についたのはシンクの状態。
まずは、洗わないと。
その時、浮かんだことは
洗っておいてくれたらどんなに負担が軽くなるかということ。
私は、たとえやってくれなくてもいいから、自分の気持ちを息子に伝えてみた。
そこから、三男と話すこと40分。
ここには書けないくらい、私の伝え方、論点のズレ、余計なことをのせることなど指摘と批判の応酬だった。こちらの言い分、気持ちなど聞く耳を持たない様子。
話していくなかで 私の的外れな発言で三男は地団駄を踏み、TVのリモコンはV字に投げつけられた。
私は、自分の落ち度を認めて謝った。
本当に悪かったと認めた。
そして、夕飯準備にかかろうと立とうとすると、「まだ終わってない❗️」と鼻息荒く呼び止められ、追加のジャブ。
ここから10分経過。
私はひたすら相手の気持ちを考えていた。
そして、理解したことを告げた。
開放される。
結局、アボカドグラタンを作った。
できたときに TVを見ていた三男が
「ねぇ、これ、あり得ない話だよね?」
とにこやかに声に出した。
リビングには私しかいないので
(へっ?もしかして私に同意を求めてんの?)
大人対応として相づちだけでも打とうかと
一瞬脳裏をかすめたが、そこまで合わせる必要なしととっさに判断して返事せず。
相手も何も言ってこなかった。
なぜ、話しかけてきたのか?
さっきまで、私に対してあれほど敵対視していたのに。
理解してもらえたから気が緩んだのか?
思春期反抗期はジェットコースターに乗っているようだとはよく言ったものだ。
きれいに焼き上がったアボカドグラタン。
グツグツといっていて今が食べ頃。
「できたよ」
と声をかけると
「だから、こういうのが
イヤなんだよね❗️」
とイライラした返事が。
ジェットコースターどころか
急に降ってきた雨としか思えず、
黙って自分だけ夕飯を食べた。
三男は黙って熱々のグラタンに
ラップをかけて去ってしまった。
こういうのって
どういうのが
イヤなんだろうか?
三男が
自分のことを
説明できるようになるには
もう少しかかりそうである。
気づいたこと
私は自分のことを理解する人と
話す機会が多い。
そのせいか、自分を理解しない人に理解してもらおうとすることに苦労する。
息子との会話で、できないことに力を注ぐよりも 相手を理解することに注力する方がまだ話し合いの余地があると実感できた。