mariaki929’s diary

自分のままに

誰かを喜ばせようとすると自分を亡くすことになるかもしれない

 

誰かのために動くことは嫌いではない。

むしろ、自ら動いたりもしている。

そこには動きたい自分がいる。

誰かが、自分のしたことで、喜んでくれるのであれば それに越したことはないからである。

その時に、忘れてはならないのが 自分を曲げてまでも誰かのためにする必要はあるのであろうか?

 

たとえば

自分の目指していることを曲げてまでも。

 

たとえば

自分のなりたい姿になることを手放しても。

 

たとえば

自分が自分であることを

やっと見つけたというのに・・。

 

たとえば

自分の生きる道の出発点に立ったというのに

その地点から道を変えてまでも選ぶ、誰かのためにすること。

 

その誰かは、そりゃあ嬉しいと言うだろう。

自分も、その誰かの嬉しい様子を見ることで

やった甲斐があったと感じるだろう。

 

でも、そこで

「待った❗️」

をかけたい。

 

あなたは、それでいいの?

 

あなたは誰かのことを優先した。

そして、自分自身の道を歩むことを削った。

 

あなたは自分時間を削ってまでも

時間を 人のために使うことを

本当に望んでいるの?

 

他人のリクエストを聞いていると

そのリクエストを叶えてあげたら

どんなに喜ぶだろうかと思う自分。

自分を頼ってリクエストをしてきたら

自分にできることがあったらしてあげたいと思う自分がいる。

なにもしない自分が悪いような気になる。

 

待って。

 

他人のために何もしないとしても

他人が喜ぶことをしないとしても

それは 決して悪いわけではない。

 

ふと

他人は 自分の都合で言っているだけだということに気づく。

 

他人は、私の思い描く未来など知らない。

 

知らない上で リクエストをしてくる。

 

リクエストが来たとしても

答える答えないは

私自身である。

 


f:id:mariaki929:20191204231215j:image

 

 

自分を保つこと

 

私にとって割りと大変である

 

その大変さと

 

真正面から

 

向かい合うのが自分である。

 

自分の無理な範囲をわかっていること。

自分が人のために無理しているかどうか。

自分が自分のために無理しているかどうか。

 

無理してまでも

自分にとって価値あることであるならば

受け入れてもいいと私は思う。

 

だらだらと書いてしまった。

 

自分のための

備忘録として。

 

 

 

 

自分自身を保つために。