不登校。文字にしておく意味
2018年10月
あれから2年が経ったのか
もっと前のような気がするが。
2年前の秋、私は次男から殺ってくれと迫真の眼差しで言われ続けていた。
身の危険を感じた私は保健所に相談の電話をした。保健所からは身の安全確保を言われて逃げる場所、逃げる方法の準備だけはしておいた。いざ警察に電話しようとしても手が震えて押せなかった。
一方、次男と2人で行った演劇観賞。
次男から久々に楽しかったと言われた。
その後も生きづらさをぶつけられる。
大変なことが起きたというのに
2年たった今となっては冷静に捉えている自分がいる。
死ぬか生きるかが家庭内で話されている雰囲気をあの時と変わらずに感じることはできない。どうしても時間がたって忘れていることはあり、事実は記憶にあるが同じ胸の痛みはわかない。
なぜならば過去になっているから。
私はいつもブログに書き留めている。
書く効果として2つある。
1つは書くことで状況、気持ちの吐き出しとなり心のなかに溜めるよりはマシになる。
もう1つはどんなに辛かったのか大変だったのかを後から読んで振り返ることができる。
過ぎた日は帰ってこない。と同時にあの思いはあの時だけのものである。自分に湧き起こったせっかくの思いを残しておくことで自分の歩いてきた軌跡となる。
詳細ははいつも書き留めている。
書き留めたものの1つとしてインタビュー事例集に掲載していただいている。
『雲の向こうはいつも青空』vol.3
あれから2年経ち、次男は家を出て働きながら大学に通っている。
2年前にこうなるとは誰も予想しなかった。
大事なのは結果ではなくそこに至るまでのプロセスだと私は思う。
ますます、
書き留めておくことの大切さを感じる。