通り過ぎた母の日
昨日は母の日だった。
情報期間やFacebookで
様々な人が年に一度
お母さんへの感謝を伝えている話を横目に
もしかしたらと淡い期待を持ちながら
1日が終わる。
ここで息子たちに言いたいことを
少し仮想してみた。
何て伝えたら伝わるかなと。
明るく
昨日、何の日か知ってた?
ちょっと期待しちゃってたわー。
または
突っかかる調子で
何も音沙汰ないということは
私に対してそういうことなんだよね?
どう言っても嫌みにしかとられないわ。
向こうの返しを想像してみる。
何もしないというのは
どういうことか自分で考えてよ
とか
こういうことは自分からいうものではない。自然にその気持ちになったら示すもの。
強要しているよ。
とでも言われそう。
↑
苦笑。
こんなやり取りを仮想したら
ダヨな〰️と思える。
今まで息子たちが自発的に用意してくれたことは確か一度あった。三人でお金を出し合いカーネーションを買ってきてくれたことがある。
その時は嬉しかったな〰️。
私は自分が母の日に何かを
欲しかったんだということを感じた。
自分は母にプレゼントを渡したりカードを送ることを欠かさない。
それはそれである。
息子たちにとって自分の母としての力量が表されている。
と頭では わかっていても
何か物ではなくて
ほんの一言
私に欲しかったよーー‼️
もう過ぎたから仕方ない。
うつうつとしていた自分を受け止めた。
何でもない顔を装って
終わらせたくなかった。