絶対なんか存在しないのかもしれない
それは母との話から始まる。
「保育園で歌う歌は今と昔と違うの?」
そう母に聞かれた私は毎日歌う歌のことを話して、私が毎日ピアノを弾いて歌っていることを伝える。
ビアノと私。
幼いときから習わせられたピアノ。あまり好きではなく、やめたいことを母に言い出せなく続けると、小学六年の時チックになり、やめることになる。
(やった❗️)
ビアノから離れること6年間、大学1年にピアノの授業がありどんなに練習してもまともに弾けず予想通り単位を落とす。
2年の時もピアノ授業を受ける。
毎日課題曲を練習しても本番でダメになる。
そんなとき、家の引っ越しがあり新しい家にピアノを置く予定となっていなかった。ピアノは古い家に残されていた。
練習は必須。学校が終わると古い家の鍵を持って電気がつかない部屋で練習した。
やっと、2年次のピアノの単位取得できた。
古い家は壊されることになったとき、親に頼み込み、新しい家にピアノを入れてもらうことにした。母は渋々許してくれ、クレーンを使ってベランダからピアノを入れてもらった。(大散財❗️)
これで、家で練習できて3年次のピアノ授業をクリアでき、教職取得となる。
このあと、まったくピアノから離れる。
苦手な物から解放される。
そして30年後、
まさかの毎日ピアノを弾く日々。
もちろん、上手とは言えないレベル。
そもそも保育園では毎朝 担任が歌うことが日課になっており、片手でもよいからということで弾くはめになる。
ピアノがない私の練習方法はYouTubeを見て、布団の上でエア ピアノで指使いをやっておき、保育園でぶっつけ本番とする。
あんなに嫌なピアノだったのに。
母にここまでを話すと、笑っていた。
小さいときから弾いていたおかげで、手を丸くして弾く形だけは体に染み込んでいるなと感じる。
今までに もう絶対にピアノを弾かないと
思ったことは私のなかに数回、記憶にある。
面白いのは、自分が絶対と思ったことを
自分で覆していること。
もしかしたらこの世に
絶対なんかないのかもしれない。
自分の60年近い経験値から
二十歳前後の息子たちが
「絶対」と決めたことや、どう考えてもあり得ないことが、もしかしたらこれから起きるかもしれないと想像がつくようになる。